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  映像研究

メモ

 
・2016年4月25日の今日は月曜日、と記してみて、そのような時間の中にいることに驚きつづける。時間が飛び去ることの驚き。あるいは自分がなおも言葉を(同じような言葉を)書いていることの驚き。201604251301。朝昼兼用的な物を駅の改札前のパン屋にて飲食しながら、久しぶりに何かを記しておこうと思った。あるいは記しておかなければいけないと思った。あまりにもつるつると、あるいはごつごつと、日々の生活は過ぎてしまうのだから、それを(もちろん)誰のためでもなく、継続のための継続でもなく、現在のコンディションを適切に保つために記しておきたいと思った。そういう理由から何事かを記す時間が、しばらくなかったのかもしれない。駅前のパン屋の、乗換駅のコーヒーショップの、たった1時間がないということは一体どういうことなのか。


・しかしそれは、時間があるかないかというような問題ではないのだろう。メールを書き、メールを返信して、LINEのようなものに書き込みをして、facebookのようなもので連絡を取り合い、業務にまつわる資料を作成して、業務にまつわるブログのようなものを更新して、また別の仕事のために、映像を見続けながら、テキストエディットを叩きつづける。そうした行為は、ある人にとっては「準備運動」のようなこととして、あるいは「何事かを制作することの練習」としてあり得るのかもしれない。しかし自分にとっては全くそうではないようだった。テキストを書くことにすっかり消耗させられているようだった。そしてまたテキストを書くことを強いられているようだった。強いられていることに対して、それを「活用する」でもなく「拒否する」のでもなく、やんわりと受け入れた上で、自分はきっと、言葉を書くことを強いることに対して嫌悪するだろう。だから一方では、いつでも一切の沈黙を夢見ることになる。


・おそらくは認知労働のようなことを問題にしながら考えていたことは、「表現の自由」というようなことはまったく問題ではなく、「表現を強いるような種類の『権力』に対してどう抗するべきか」というようなことが問題であったはずなのだ。


・少し見知った人が、しかしもうしばらくは直接顔を合わせていなくて、ソーシャル・メディアのようなもので近況を知っているような気になっている人が、そのソーシャル・メディアのようなものに、どうやら疲れ果てて、もう何かを発信することをやめてしまったにも関わらず、しばらく時間が経ったならば、また同じような言葉を記しているのだった。このことを個人のパーソナリティの問題にするのではなくて、もちろん一方では自分自身のこととして考えもした上で、しかしもっと集団的なこととして、あるいはテクノロジー/メディアの問題として考えてみようとも思った。


・つまりそれは「表現を強いるような種類の『権力』に対してどう抗するべきか」ということからさらに進んで、「なぜ自ら積極的に表現していると思い込んでいる人は、実際は『表現させられている』ということに気づくことができないのか」ということでもあるし、あるいは「なぜ『表現させられている』ということに気がつきながらも、そのことに気がつかない振りをするのか」ということや「なぜ『表現させられている』ということに気がつきながらも、ついつい表現をしてしまうのか」ということを考えたりすることもできる。それは端的に「中毒」ということなのか。脳(あるいは思考)がネットワーク端末と「きれいに」連携しているならば、すっかりその思考とネットワークのテキスト及びイメージがシンクロしている、ということなのか。そして「なぜ誰もがそんなに言葉を話すのか?」という疑問は、「なぜ誰もが進んで自らを隷属状況に置くのか?」という問いに接続されるかもしれない。


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・ずっと読まなければと思っていた、ディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお』という本を一気に読んで、自分がイメージについて、もう少し具体的に「写真」「映像」について考えていたことが、ある輪郭を持ったように思えた。例えば「写真とは何だろう?」と問うてみて、それを「イメージを生み出す行為」として捉えなおすこと。その“行為”の中に、思考も、身体的な運動も、他者との関係も、場所の問題も、含まれているということ。そしてまた、写真がある「現場」からの「報告」になり得るということ。その「報告」はリアルタイムの/実況中継的なことではなくて、時差を持った報告でもあり得る。だからイメージを生産する者は、誰が見るかもしれない、誰も見ないかもしれないが、この場所ではこうした出来事が起こったのだということを、別の時間/場所に届けようとする。そのことの意味、切実さ、について、自分もまた考えて、想像して、そして覚えていなくてはいけない。そういう「報告」を聞き取れる精神を持っていなくていけない。あるいは「報告」と、別の種類の「表現」との違いを見分けるような知性を鍛えなければいけない。


・そしてだから「カメラ」という機械あるいは道具の意味もまた、より深く思考されなければいけない。カメラを自分自身の「道具」として「取り戻す」ということ。そのことを2年前に書いた論文の最後に「決定的に困難でほとんど不可能に思えるけれどもそれこそが重要な課題である」と書いてみた。書いてみたのは、それが当てずっぽうだったからで、しかし当てずっぽうで書かれた文章は自分の思考の道筋を誘導する。だから(そのことを意識した)この1年くらいは「イメージ」というよりもむしろ「カメラ」について考えようとしてみていた。


・「カメラと写真をめぐって」いくつか書いてみたい、考えてみたいことはあるのだけれども、言葉が追いつかない。言葉が全然届いていない感じもしている。だからまずは写真(映像)を見ること、そして写真(映像)を撮ること、そして写真(映像)を言葉にすることから、再度始めてみたい。ファウンド・フォト=物質/オブジェ、という手がかりが、同時に少し何かの行き止まりでもあるように思えるのならば、むしろ写真を「撮る行為」を想像できるような写真と言葉はどこかにないだろうかと思って、中平卓馬ボードリヤールについて何かが考えられないか?と思ったりしている。それはもしかすると、デジタル写真以前の、最後の写真=物質を残そうとした試み、と言えるのではないか、など。


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・日々の生活の中の出来事は、過ぎてしまえば一緒になって消えてしまうけれども、ひとつずつは、今の自分にとってあまりにも大きな事柄だった。4/24の同僚チームとの飲食(新宿のホーム「やまと」からのKARAOKE)の密度とこのチームワーク感を刻み込みたい。4/23に修士論文を指導していただいた先生の寺子屋的なイベントは非常に刺激的だった。そして自分が学問のようなもの(というのはそれがつねにアカデミズムを無効にするような思考の活動であるから)に惹かれた理由、そのモチベーションをはっきりと思い出すことができた。4/20に熊本に住んでいる友人夫妻とSkypeで話せたことは本当に良かった。揺れが続く熊本と、留学先のドイツと、出張先の新潟と、安静を保ちつつ水道橋と、今ここの三鷹が、映像と音声で(断絶しながらも)接続される。例えば自分たちは5年前には、東京で、同じ時間に、同じ場所で、似た恐怖とある意味での興奮のようなものに一緒に揺さぶられていたのだった。生きている中で決定的に「有り難い」ことが時々起こる。そのことを何度でも思い出す。


・こういう出来事の合間に労働がある。「労働」と言い切ってしまったら負けだから、それを何か別のこととして捉えようとするけれども、しかしそのこととは(更に別に)「決定的に重要なこと」があるのだということを思い出す。もちろん同時に、例えば労働の何かが、その「決定的に重要なこと」に通じる抜け道のようなものを作り出すこともまたあり得るのだということを思いながら。この続きがいつか書かれることを想像しながら。このテキストもまた何かの「現場」からの「報告」であり得ることを思いながら。201604251356。