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  映像研究

忘れてしまう読書

 
・本を読まなくてはいけない。起きている間ずっと読んでいてもよいくらいに読みたい本も読まなければいけない本もあるのだけれども、一方「映像」もある。映像について考えたり考えなかったり考えなければいけなかったりすることもある。だから映像の本を読む。そしてまた趣味もある。趣味とは何か。趣味で読む本はぼやっとしつつアンダーラインなど引かずに読むような本かもしれない。趣味で読むのは例えば『レッドアローとスターハウス』という本で、その本を読みながら自分が生まれて育った(四半世紀!)町についての記述を読むことも新鮮だ。記述されると「そうなのか」と思う。その文章が書かれた意図や書く時の視点はもちろん任意に設定されていて、例えばそれに微妙な違和感を持つこともあるけれども、それはともかく文章の中で自分のアイデンティティ(という言葉が適当なのかどうかわからないけれども)に関わる何かについての記述を見つけることは面白い。清瀬という場所へ「通う」ようになり、駅や商店街や学校や住宅の間であまり意識しなかった/しかし確かに存在していて/ある意味ではその場所のトーンのようなものを作っていた「病院」に行くようになるならば、そのような文章を読むことも、風景を見ることも、また違った感覚がある。

敗戦直後、この地域の病院や療養所に収容された患者数は、会わせて五千人に達した。戦後に合法化された日本共産党が東京都でいち早く勢力を浸透させ、「赤い病院」を誕生させたのも清瀬村であった。六〇年代以降、患者数は急激に減り、かつての診療所は総合病院や研究施設、日本社会事業大学国立看護大学校に変わった。だが多磨全生園のように、往時の姿をよくとどめたまま、園内が開放されている療養所もある。