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  映像研究

2012年8月31日の山

 
・目が覚めたら頭痛は消えていた。山の朝はコンパクト。何かを食べて、テントをたたむ。たたんだテントはザックに仕舞う。なるべく水分を振り落として、なるべくコンパクトにして、ザックに仕舞う。そして昨日まで歩いてきた道を逆に歩く。登った山を背にして歩く。


・下山しているときに独特の心境のようなものがあると思っている。心はやるような、残りの体力をきれいに使い切ろうとするような、そして既に気持ちは山から下りているような、そしてだからそれは明日からの新しい季節と新しい生活の感じを既に知っているような、そういう心境がある。やはり歩くときには、この風景の向こうにある風景を、そしてその予感のようなものをイメージしているのかもしれない。


・昼ご飯に(ケンミンの)焼きビーフンを作ったのが個人的にヒット。山登りの食糧についてもまた考えてみるかもしれない。


・下山しているときには風景が、そして自然物が気になる。気になる光景を写真に撮っていたら、その時に考えていたことがわかるような気がする。鉱物を見ている。鉱物の作る線は、物が物として削られて作られた輪郭。それを光がなぞり直す様子を見る。あるいはそのような鉱物と植物や、植物の影や、または水が接触する場面を見る。石や岩は山そのものでもあるから、その表われ方が、自分が或る山について抱くイメージになる。


・歩いていると何かを見つけると通り過ぎた後振り返るようにしてそれを見るようになる。「この辺に何かが表われていたはずだ」と思って振り返った時にはもうそこには何もない。それでも振り返ったしるしを探った証拠としてシャッターを押す。シャッターを押すと何かは映る。その映ったものが自分を振り返らせた何かと同じものなのか似ているものなのか数えられるものなのか見つめられるものなのかわからない。わからないけれどもそれが「歩くという行為」に近しいイメージを得る方法なのだと思ってそれを続けるかもしれない。


新穂高温泉の登山口に下山したのは16時すぎ。ちょっと遅くなってしまったことを反省しつつ温泉へ。完全な露天風呂に浸かってジュースを飲んで車に乗り込もうとしたら突然の豪雨。フロントガラスから何も見えないほどの豪雨。豪雨から逃れるように入った定食屋が、飛騨牛の美味しいお店だったのは完全に偶然。牛肉を食べる。牛肉を食べて元気出てそのまま高速道路。帰りのSAはいつも少しだけ寂しい。24時に東京に帰った。