&

  映像研究

それは大抵2月だった。

 
・大抵2月だった。2月は冗談では済まないくらい寒いのと同時に、でも生き物は確かに、静かに、じっくりと春がやってくる予感を感じているような季節なのだった(ノー・メタファー)。自分にとっては業務の2月。あるいは業務が一段落してスロー・ダウンする2月。暖かくなったらやりたいことをリストにして数え上げてみるのも2月。業務の繁忙期を言い訳にして全然本を読まなくなっていたことにはっとして読みたい本をリストアップしてみたりする2月。もうそろそろ防寒のためだけのファッションには飽きてきてクローゼットの中のシャツに袖を通して遊んだりするのも2月。「○○の2月」。「○○な2月」。去年は「上関原発」と「TPP」について勉強しようとしていた2月。


・回顧する/懐古するのは何か不相応な気がするなりに、そういえば2007年の3月20日から備忘録してみて、あっという間にもうすぐ5年が経つ。時間が経つ。時間は流れる。そうだから備忘録の中には沢山の「2月」が録されていて、戯れにそれらの情報を呼び出すことだってできるのだった。『2008年の2月』があり『2009年の2月』があり『2010年の2月』があり『2011年の2月』がある。三寒四温や飛びはじめた花粉やサーヴィス業のサーヴィス具合や春夏もののファッションについて書いている。何も変わらない、と言えば、何も変わらない。変わり続けている、と言えば、変わり続けている。同じ時の別の時。


・新しい朝。朝らしい朝。新しい歌。美しい星。高尾のドトール・コーヒーで漂白されたピチカート・ファイヴの音楽が流れていて、それをきっかけに最近思い返すのはそのような音楽。そして今これを備忘録している八王子のファミレス的なカフェで流れているのもまたピチカート・ファイヴの、恐らくはコンピレーション。自分の記憶が正しければ題名は『戦争に反対する唯一の手段は。』「唯一の手段」は、何だろう?吉田健一という人が書いた元の言葉は「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」と続くけれども、それは本当にそうなのか。50年以上前の言葉らしいその言葉は、今でもそのまま、あるいは解釈を加えたならば、有効な手段であり得るのか。そんなことを、考えないこともない。冬の或る日。


・風邪をひかないことだけが目標だった1月。部屋を暖かくしたり、着込んでみたり、生姜を入れた何かを処方してみたり、あれやこれやした結果、2月の今。寒いことに飽きた。暖かくなるよりも先に寒いことに飽きた。惰力で続く冬がある。それも悪くはない。


・飽きることの大切さを高橋悠治という人が、大切、という言い方だったかどうか覚えてないけれども書いていたような気がする。確かそれは『ことばをもって音をたちきれ』という本の冒頭で、思わず「高橋悠治 ことばをもって音をたちきれ 飽きる」で検索してみたところ(するよね大抵)それは折口信夫という人が書いたらしい言葉で「ただあきることだけだけが、能力だった----。あきた瞬間ひょっくり思いがけないものになり替る。」という言葉らしいことがわかった。凄いなインターネット。そしてそれは本当にそうであるような気もする。何十年前の言葉なのだろう。しかし飽きるまでにやらなければいけないこと/やっといた方がいいこと、というのもあるような気がする。


・「飽きること」を「飽き」として意識しなくとも、新しく楽しいことがふっと忍び込んできたならば、すっかりそれは自分の生活の中に在る、というようなことがある。そのとき自分はすっかり別の人間で、同じだけど別の人間で、新しく楽しいことを真正面に見るような新しい姿勢で立っている。その姿勢のまま考えて、その姿勢でできる仕事を、活動を、する。新しく楽しいことを道しるべのようにして、結果的に何かを決めていた。何かを決めることが先にあるわけではなくて、飽きることと、新しく楽しいことに考えを捕われることから。


・昨日業務の中間打ち上げ的な飲食の場で最終的に話していたことは「ある人が意識が『はっきりしている』かどうか」という話題で、そんなことを他の人に対して考えたり意見したりするのもどうかと思うけれども、そしてそんな自分だって意識が『はっきりしている』のかどうか怪しい部分もあるけれども、いずれにしても、業務の関係でティーンの方々とコミュニケーションを取る機会があると、人によって「意識が『はっきりしている』かどうか」も色々なのだなと思う。そう考えていてふとこの国の言葉で「物心がつく」という基準があることも面白い。それはしかしまた別の話。「自我の目覚め」とか「アイデンティティ」とかもある。何かを「判断すること」に慣れていくことや、混沌とした状態に線を引くことの練習。これは何の話だろう?


・一日の中で色々な判断をしている。その判断のきっかけに「飽きること」もあるかもしれないと思う。そしてそのことと「各自の生活を美しくして、それに執着すること」はどういう関係にあるのか。関係ないのか。考えないこともない。考えないこともない途中。途中の考えが増える。