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  映像研究

それで時は流れて2011年の夏の真ん中の備忘録

 
・8月12日から15日までは業務。夏の業務も既に後半。遅ればせながら忘れた頃に南からの熱風がやってきた。最高。最高に夏バテ。最高に素麺の微妙なレパートリーだけが連日増える。連日南からやって来たであろう「オクラ」とか「モロヘイヤ」とかを食す。あるいは連日誰かと会ってみる。誰かと会ってお酒を飲んだりしながら夏の夏らしさを感じるような日々。あるいは夏の夏らしさを名残惜しむような日々。そして残り少ない夏の夏らしさを存分に感じるべく散髪。思い立ったならば市民プールで日光浴。炭酸水をがぶ飲み(冷えの原因)。



・読みたい本は沢山あれども(積まれども)暑いので頭がぼやーっとしてくるような今日この頃。辛うじてこの間購入した『atプラス』という雑誌をぱらぱらと読んでいる。行けなかった6月の紀伊国屋のシンポジウムが記事になったものを興味深く読みつつも、柄谷行人という人のアーティスティックな発言が収録されていなかったことを残念に思う。そしてまたその柄谷行人という人の「自然と人間 震災後に『世界史の構造』を読む」という文章を読む。そういえば自分も6月(震災後)に『世界史の構造』を読んだのだから、その文章を面白く読み、あるいはまた、もう一度くらい『世界史の構造』を読んでみてもいいかもしれないと思った。



・そしてまた『新潮』という雑誌の坂口恭平という人と石川直樹という人と岡田利規という人の対談も面白かった。内容的に面白がっていて良いのか微妙なところではあるけれども、3月11日以降に、色々なことを考えて、色々な判断をしている、普通の、普通が何だかわからないけれども、とりあえず日本に暮らしている、30代男性3人の話は普通に、自分や自分の周りの友達と変わらないような内容で、変わらないような雰囲気(のように読める文章)だった。そのやり取りを読むことからも色々なことを考える。8月の現在として東京に住み続けている自分も、また「住んでいる」ということ自体が、ひとつで選択であるのかもしれないと思う。



・そしてまたそういう文章を読んだりしながら自分も誰かと集まる。集まり、についての集まり、について考える集まりは8月16日の夜。国立のA邸にて「スペインの人から教えてもらった」と言っていた美味しいパエリアなどでもてなされつつMTG20日に迫った「集まり、についての集まり」について意見を交換する、そのことがまた自分たちの今の生活と、これからの生活について考えるきっかけとなる。言葉にすることで初めて自分の考えに気がつくということがある。言葉にすることで初めて自分の考えが整理されるということもあるのだろう。



・「自由であることを実感できるような場」を作るということと「何かが発生したり成長したりしていることを実感できるような場」を作るということが、ぼやっと頭に浮かんだりしながらも、それは一体どういうことなのか?考えている。