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  映像研究

嵐のような

・後から書いておく嵐のような日の記憶。異常に気温が高く、風が強く、時折り横なぐる感じの雨も降り、動けば汗をかいて身体を冷やすことを繰り返していた。春の嵐、あるいは台風のような気候。

 

・そうして気がつけば思いがけない出来事の只中に置かれていることもある。少し時間が経って振り返るならば「危なかった」と思うが、本当に困った状況にあれば、俯瞰的に記述することもできない。夕方から夜までの記憶は、強く残っている部分と、夢中ですっかり消えてしまった部分がある。それは記述しない。雨の中を走りタクシーを停めて乗りこみノートPCを開いた時の感じは覚えておきたい。

 

・帰宅して再び明日の提出に備えて準備。ひとまず誰かに反省(懺悔に近い)を口にしたくて家族に向けて言葉を話す。「奇跡だった(首の皮一枚)」と伝えると、「それは奇跡が起こせるように準備をしていたということ」と返答されて、そういう考えもあるのかと思いありがたく聴く。しかし、できれば、こうした種類の奇跡の領域に踏み込むことなくスムーズに事を進めたかった。

 

・反省(懺悔)の後に家族の仕事の関係の写真など見ていると、LINE LIVEで bialystocksのアルバム発売番組が放送されていたのでそれを見る。ポップスやロックと言っても良い曲のうちの多くが、近しい人を失うことをモチーフにしている。その言葉を、歌う声に乗せた感情を、新鮮でありながら懐かしいものとして聴いている。明日には注文した『QUICKSAND』も届くだろうか。車でCDを聴きたい。

 

・いつか先に『UponYou』を聴けば、この2022年11月の緊張を思い出すのだろうか。雨の西新宿を走るタクシーの中でノートPCを開いた瞬間さえ、懐かしく思い出すことができるだろうか。

山場の記録

・202211282150。半身浴しながら書いている山場の後半の記録。3:30まで作業して仮眠的に横になりしかし6:00にやっぱりあの167ページのくだりは良くないのではないかと思って起きて作業を再開する。自分の場合は、仮に論文というフォーマットで書いていたとしても、どこかの段階でスピリチュアルなポエムが現れるのはもう仕方がない。だがそのことに居直っているとも思われるような強調表現をわざわざ使う必要はない。そのように考えて2時間ほど書き換えるための作業。「写真は存在を写す」、それをどう論証できるのか。ノートPCに向かうだけでなく仕事に出掛ける準備をする家族の顔をじっと見たり、3年前に撮影した集合写真を眺めながら部屋を歩き回り考えたが分からなかった。結果的に自分が何が分かっていないのかは少し分かった。ほんとうはもっと粘れるのかもしれない。だが8:00に合図に作業をやめて外出。まずはコンビニへ。やはりコンビニのプリントアウトでは最終的なサイズ調整は難しい。コンビニの前で座り込みノートPCを開くが埒があかずそのまま新宿のキンコーズへ。そこからキンコーズでWordとPDFを行き来しながら1時間ほど作業して、最終ラインと思っていた正午前には製本をお願いできた。すべてがぎりぎりだったことを反省しつつ、そういえば歯の痛みが極まってきていたから家の近所の歯医者を即日予約。ゼリー飲料で凌ぎつつ駆け込み、親知らず抜歯の方向で相談するなど。14:30に帰宅して15:30まで意識を失う。久しぶりに昼寝らしい昼寝をした。その後起きて作業。明日の書類の準備と業務の細かな連絡を並行しつつ、諸々していたらすっかり夜になった。もうすぐ山場が終わる。

山場の記憶

・これは確かに山場だと思いながら書いておく日曜日の記憶。7:00に外出して8:00に職場の最寄駅へ。エクセルシオールで作業。3時間でざっと20万字程度に赤入れする予定だったが、取り掛かってみて、それはあまりにも無理な目算だったと気がつく。最終的なところで詰めが甘い。一日足りなかった、ほんとうは多分三日くらい足りなかったと、この段階で気がついてみても遅い。11:00から17:00までの業務を挟んで17:00から19:00まで再びエクセルシオールで継続するも一向に終わる気配がない。尚且つ親知らずが非常に痛い。仕方なく帰宅。20:00に帰宅して家族が準備してくれていた夕食を食べて作業に戻る。予定では日曜の夜のラジオを聴きながら小躍りしてプリントアウトのみすることになっていたが、実際は唸りながら紙の束に赤入れをして、プリンタも稼働する。日付をまたいで3:30と時計に表示されたところで今日の作業を終える。

山場の記憶

・後から書いておく山場の記憶。暖かい気候に救われているように思う。気温が高くさっと雨が降れば春のようだと思う。デスクで読み書くような作業をする自分などにとっては有り難い限りだけれども、一方で野菜を育てている友人は、この時期に活動しないはずの虫が活動していることによる問題も起こると言う。春のような秋の終わりもしくは冬のはじまりの記録。作業は6:30から11:30まで。昨日懸案だった4箇所は一応読める段階まで推敲できたから書く作業はこれで終了。あとはプリントアウトして日曜に読み赤入れし、月曜にはもう一度プリントアウトして製本に持ち込む。流れを何度も確認する。打ち上げ用のワインが届く。業務は13:00から21:00まで。予期せず自分の約10年前の活動について振り返るきっかけとなるような会話があった。毎週土曜日4回の特番的な業務も事故なく終わり安心。山場の証としての親知らずの疼きを感じながら帰宅。暖かいものを食べると痛いと伝えていたことから家族が握り寿司を購入してくれていた。冷しゃぶをつくってくれていた。感謝して食べすぐに就寝する。

これは備忘録

・202211252115。帰宅する京王線。これは備忘録、と書いてみて、しかし忘れてはいけない事柄があるわけではない。感じや雰囲気が残れば良い。今朝は7:30から作業をはじめて13:30まで。書いた文章をぐるっとひと回りして直せそうな箇所を探す段階。調理がなされてあとは盛りつけを待つばかりという雰囲気の全体の中に約4箇所ほど「生煮え」的なくだりがあり、印を付けつつ最後まで粘ろうと思う。しかしひとまず目処は立った。その後夕方からの業務のために出かける。調布で途中下車して提出に必要な諸々を買う。自宅のレーザープリンタと比較するためにコンビニでプリントアウトしてみるなど。そして業務。16:00から21:00が一瞬で消えて、にも関わらず多くが積み残された。あるいは各方面でなだれが起こり、それはもう積まれてすらいない。このような状況を人は「山場」と言うのだろうか。事故が起こらないぎりぎりの線を探りたいわけでは全然ないが、結果としてかなり攻めている。作業も業務もあと2日。陳謝と放置と開き直りを駆使して作業の時間と集中力を捻出している。