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  映像研究

・202206302304。水泳が得意ではないから体感的な比喩でもない単にイメージだけれども、プールの壁に触れてくるりと体勢を変えて、もう半分泳ぐ。その折り返すアクションの時間帯が今もしくは今日の一日だった。しばらくはこのスピードを落とすことなく泳ぎ続けなければならないから、振り返る余裕はない。しかし着実に過去は消えている。あるいは増大している。

 

・この数日一日中暑さのことばかり考えていて、日頃は異常気象、などとあまり考えず、多少の異変を感じようともこれもまた然るべき振れ幅のうちだろうと思う方だけれども、例えば今日の気候はそういう惰性の考えを壊すほどの勢いでぶつかってくるように感じられる。熱が衝突する。そして思考させる。この暑さは一体どういうことなのかと。

 

・通常業務を終えて、22:00までの会議も終えて、会話を制御できる状態になく、これは本格的な夏バテなのではと思ったが、それ以前に空腹かもしれない。今日眠って起きたならば7月。

遠さ、厚み

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・後から書いておく記録。6月の終わりの、一年の折り返しを感じざるを得ない、水曜日。午前中に数回洗濯機を回したのち外出。駅までの10分の自転車もやや危険な感じがする。ハットを被ってサングラス。マスクは電車に乗るギリギリまで外す。暑さから逃れるように屋内から屋内へ、冷房から冷房へ移動する日がいつまで続くのだろうか。「暑さに慣れていないこの時期が一番危険です」という定型文を単なる形式的な警告と捉えずに自分の意識に浸透させる。健康を保つことを優先させる6月の終わり。アルコールと睡眠のバランスも考える。

 

・実家で昼食。数ヶ月ぶりに直接母と近況を報告し合う。連休はタイミングが合わなかったから2月の父の命日の前後以来だろうか。このマンションの部屋も不思議な来歴を辿ってきたものだと訪れるたびにいつも思う。家族と呼ばれる集団の構成メンバーは一応戸籍上は4人ということになっているが、その4人が一度たりとも全員揃うことなく、住人は2人→3人→2人と1匹になり、今は当初の2人ではない2人が住んでいる。自分は15から25まで10年住んだ。そしてそれから15年以上が経つ。散らかり放題の暗室にしていた部屋は穏当な客間になっている。自分の部屋は妹の部屋になった。自分はこのような変化それ自体を「家族」と呼ぶこともある。

 

・いつか書こうと思うことは、他者との共同生活における仮設性について。

 

・午後から自分が学生である方の(終わりが迫りつつある)学校へ。7月の以降のスケジュールを相談し、概ね計画通りに進んでいることを確認して安堵。しかし安堵が心に住み着くと過信に繋がり重大な事故を生むことも知っているから安堵は一瞬触れるだけですぐに手放す。異様な厚みの紙の束を見ながら、残り5ヶ月でこれを徹底的に推敲しなければならないことを意識に刻み込む。

 

・当面は週末の業務を乗り越えなければならない。それを乗り越えて大学に必要な書類を提出したならば第一期の夏休み。散髪、免許の更新、カイロプラクティック、など諸々整える一週間になる。帰路新宿のルミネに立ち寄り修理に出していたビルケンシュトックのショートブーツを受け取る。2015年に足の指を骨折したことをきっかけに購入した靴は骨がくっついてからもずっと自分の足を支えてくれている。

 

・21:30に帰宅。汗を流し飲食したら気を失う。気づけば熱帯夜で眠っている。

メモ(避暑、自分が見たままを写真にする、上昇する気温)

・202206281840。今は6月。梅雨の明けた、夏本番の、でも6月。そんな語義矛盾のような世界を生きている。夏は毎年新たな記憶を刻み込んで消えていく。あるいは浮かび上がり沈み込む。この異例の夏がどのような曲線を描くのか、自称夏評論家としては楽しみではある。それにしても暑い。暑すぎる夏は普通に危険。12:00まで扇風機を頼りに書類のプリントアウト作業を行うが、諸々の買い物が必要であったことを言い訳に避暑。

 

・それでコーチャンフォーに来た。諸々の買い物を済ませてドトールで作業。ドトールに集う人々を眺めて、突然来た夏に誰もが戸惑っていると思う。そう思うのは自分がそう感じているから、「誰もが」そのように見えるに過ぎないことを知っている。16:30まで。

 

・昨日体験した「Yoshiko Seino Magazine Works」について考えている。考えたことを少しだけ書いてみる。以下。

 

・「自分が見たままを写真にするという意味では、まだまだできることもしたいこともするべきこともたくさんある」という清野賀子のインタビューの発言における、「自分が見たままを写真にする」という部分がずっと気になっている。普通の表現のようであるが重い。既に一度少しだけ検討したことがあるが、彼女は「普通の意味での写真ということで言えば、今の時点でもあるレベルまではクリアしていると思う」と述べた上で、「ただ、」と区切り、冒頭のフレーズを述べた(と書いてある)。この「自分が見たままを写真にする」とはどういうことなのか。

 

・「普通の意味での写真」が有する筈の「あるレベル」の先に掲げられた指針であるが、この「自分が見たままを写真にする」ことは「クリア」されるようなものではない。むしろどこまでも「その状態」に近づこうとする努力目標のようなものであり、言い換えれば、写真家である清野にとっての「探究」の中心が、この「自分が見たままを写真にする」ことだと考えることができる。それは具体的には、「自分が見たまま」を「写真にする」行為、つまり撮影行為として実践される。

 

・しかし当然のことながら(一応確認しておけば)、撮影によって「自分が見たままを写真にする」ことは誰にとっても等しく、言葉の通りの意味で実現されることはない。ではそれは写真家の幻想だろうか。そう言い切らないとするならば。「見る」ことの中には、「何を」「どのように」(見るか)という精神のはたらきがある。そのような精神のはたらきとしての視覚を映し出すこと。精神のはたらきとしての視覚を映し出すものとして写真があり得ることを示す実践。彼女の撮影行為をそのように言い換えられるだろうか。

 

・以下はメモ。この「自分が見たままを写真にする」ことと〈精神のはたらきとしての視覚を映し出すものとして写真〉という問題系に、「人を写すこと」がどのように関わってくるのか、というあたりが議論の基礎になる。「風景」も「スナップ」も議論にとってはあまり重要とは思われない。「ファッション写真(であること/とは何か)」は議論の導入になり得る。それにしても「人間を写すこと」が絶対的に重要だという確信がある。

 

・そして彼女が構想を温めていたであろう1980年代後半のこと、そして実際に眼差しの先に在った1990年代のこの世界/社会のこと、そして「(『至るところで 心を集めよ 立っていよ』の言葉を借りるならば)加速」していく2000年以降について、考えてもいた。言葉にしてかつての時代をつかまえることも難しいと感じる。

 

・中断して。このように考えていることと外界で起こっている事象は「上昇する気温」を接点として繋がった、というのは後付けだけれども、数日前にDISCO TO GOを思い出したから、定期的に試聴する『天気読み』を再生する。自分にとっての1994年前後の「上昇する気温」が刻まれている映像を見て、1993年の冷夏と1994年の猛暑を、いまこの時つまり2022年に蘇らせる。そのBGMとして『天気読み』がある。テープ切れるんじゃないかと思うほどに中学から帰宅後毎日見たVHSの映像は普通にYoutubeにアップロードされている。

 


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京都で

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・7:00に目覚めた。知らない天井を見上げるここは京都のホテル。7:30にホテルをチェックアウトして徒歩で新風館に来た。近未来に友人たちと集まって宿泊したいエースホテルのロビーでコーヒーを一杯。そのままmacbookを開いて昨日の日記「京都へ」を書く。続けて少しだけ自分の書く作業。広いロビーに程よいBMGが響く。こんな空間が近所にある生活は羨ましい。汗が引いたところで京都芸術センターに移動する。

 

・京都に来るとひとまず京都芸術センターを訪ねる。併設の前田珈琲で本格的なモーニング。のち伊東宣明「時は戻らない」を鑑賞。また移動。四条から京都駅。京都中央信用金庫旧厚生センターでブライアン・イーノ「AMBIENT KYOTO」を鑑賞。炎天下の移動で汗を出し冷房の効いた展示空間で冷えることを繰り返している。ややあって昼食の為に五条に移動。友人から教えて貰った「suba」へ。大きななめこがのった暖かい蕎麦。暑い日に暖かい蕎麦も良い。

 

・歩いて四条、河原町から烏丸まで。昨日からこの一帯をぐるぐるしている。地下鉄で鞍馬口駅。二手舎を訪ねる。今回の京都の目的だった「Yoshiko Seino Magazine Works」へ来た。予約していたので2時間集中して鑑賞することができる。プリントの展示もじっくり見る。が何よりも今回の展示の主旨は雑誌の仕事を多く見られることだった。掲載された写真のみならず、添えられた短いテキストなどからも考えられることが沢山あるからノートを取りながら雑誌を捲る。二手舎の方にも次々質問してしまった。鑑賞後考えることが多くぼうっとしたまま移動。

 

・そしてぼうっとした結果、京都タワーの展望室にいた。思考を進めることとは異なる外的な刺激を求めていたのか。昇っていくエレベーターの中で、自分は高所が得意ではなかったことを思い出す。

 

・202206271940。そして京都駅にいる。家族や同僚へお土産など購入してコーヒーを飲みながら書いている。清野賀子の写真については、あらためて考えたことを書くかもしれない。東京に戻ったならば明日からしばらくは集中すべきターム。スケジュールを確かめながら今。

京都へ

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・朝から日曜日の業務。終了後にさっと退勤すべく準備をしながらはたらく。甲斐あって17:00過ぎにタイムカードを押して18:12ののぞみに乗れた。柿の葉寿司と缶ビール。座席が北西側、南西に向かって走る車両の右の窓側だったから、暮れてゆく空の変化をずっと見ていた。小田原、熱海、掛川と先週末に訪ねた一帯を一瞬で飛ばして進むのぞみ。視界が開けて富士山が立ち現れた時にスナップ・シュート。

 

・手前の建物は一瞬で消えるが遠くの山はゆっくりと動く。その変化を面白いと思っていた。

 

・20:23に京都に着きまだ6月でも熱帯夜のようだからひとまず近場の入浴施設へ。その後歩いて四条烏丸方面へ。22:00に小綺麗な漫画喫茶のようなホテルにチェックインしたならば荷物を置いて散歩。そういえば夜の京都を歩いたことがない。そして一人で泊まりの旅行をするのも久しぶりで新鮮。かつてはそれが普通だったが「普通の感覚」は変化する。そのようなことをぼんやり考えながら河原町祇園。どんどん閉まっていく飲食店を訪ね歩く。調べていたワインが飲めそうなお店二軒に縁がなく23:00を過ぎる(空腹)。

 

・結局ホテルのすぐ裏手に見つけた、おばんざい居酒屋的なお店が25:00まで営業してくれていて救われる。明日の計画をしながら飲食。そしてこの小旅行が終わったら2022年も折り返す、とふと気づく。満腹で24:30にはホテルに戻って眠る。