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  映像研究

映像になる

・9月のはじめの、つまり秋の最初の頃の、ふつうの日曜日だった。朝から夕方まで業務。10時間くらいが消えた。今まさに現在にある業務をしながら、近未来の業務に必要な準備をする。そのことに夢中になる一日だった。とはいえ今夜と明日に少し持ち越す。

 

・慌ただしく仕事を終える中で帰り際にふと職場の年齢の近い方とファッションの話をする。年齢の近い方とのファッションの話ほど気の休まる時間を他に知らない。「最近購入したもの」の話などを興味深く聞いた。

 

・そして、コロナ禍の現在、ランウェイのようなショウが映像として公開されている、または、ショウの代替となるような映像が制作されている、ということを教えていただき、自分は全然知らなかったのだから、帰宅していくつか見てなるほどと思う。自分の知らない映像がこのようにあり、このように見ることができる。色々なヴァリエーションがある。学びがある。メモとして。

 

2021年の東京の夏の映像

・後から書いておく記録。午前中からざる蕎麦の昼食を挟んで午後少し作業。引き続き論文を書いている。

 

・午後新宿へ。ある写真の展示を観に行きギャラリートークを聞く。考えることが多い写真でありトークだった。がまだ考えがまとまらない。またいつか別の考えと共に書くことになるかもしれない。

 

伊勢丹の地下でギフトの下見などして帰宅。帰宅して夕食。

 

NHKオンデマンドで『ドキュメント72時間』を見る。「真夏の東京 幻のマラソンコース」という回。不思議な映像を見たという印象。『ドキュメント72時間』ではお店など多くの場合特定の「場所」が対象となり、そうすれば必然的に72時間のうちの営業時間外は映像の時間から消えるが、路上を対象としたこの回にそのようなブラックアウトは無い。文字通りの72時間、東京の路上の光景を写したのだろうか。

 

・「路上」が対象だったのだろうか。冒頭の「撮影することを警戒される場面」からはじまり、そして「移動している人にカメラを持ったチームが突然話しかける場面」が続き、どことなく不安な雰囲気が漂う。話しかけられる人もまた、その場所が「真夏の東京 幻のマラソンコース」だということなど忘れているだろうから、画面には「唐突に脈絡なく声をかけられた人たちの怪訝な表情(マスク越しの)」が映し出される。その映像を見ている自分もまた「これは一体なにを見ているのだろうか」と考えずにはいられない。

 

・インタビューの合間に挟まれる「マラソンコースに例えるとあなたは人生の今何キロくらいを走ってますか?」という質問も殆ど無意味で(その場所がマラソンコースだったかもしれないということを聞かされたところでその質問が投げられることに納得できるのだろうか?)、時間が進むごとに不可解な印象だけが増大する。そして『ドキュメント72時間』では、たびたび語られる、亡くなった者への言葉、家族を持たない者の家族への思いなどが語られて、いよいよオリンピックからは遠いところに連れてこられてしまう。

 

・後半に路上で生活されている方のインタビューがある。このインタビューが編集の、結果的に番組の核となったのだろうか。北海道から上京して東京の都市開発に関わったのちに今は働くことが困難になったというその人が、路上に座り「唯一の楽しみ」だというラジオをイアホンで聴く。故郷の北海道を走るマラソンの中継を聴く姿が映し出される。インタビュアーは「本当ならば目の前を走っていたかもしれませんね」というようなことを言うと、その人はそれに応答しながらも「(もしそうならば私は)ここにはいられませんよ」と発する。少し緩んだ表情と声の調子で。あの映像が撮れてしまったことであの番組は、もはや他のシーンがどのようなものでも良いと判断したのではないか、そのようにすら思えた。

 

・そもそも「真夏の東京 幻のマラソンコース」とは何か。ランナーが、ランナーを待つ人たちが、いたかもしれない場所を写すことにいったいどのような意味があったのか。「ランナーを待っていた人たち」が都合よく存在するはずもない。結果的にただの東京の路上が映った。そのことを思い出している。

新しい食べ物

・後から書いておく記録。午前はただひたすらに論文を書く作業。100行(5000字)に到達してようやく、この文字群に愛着がわいてきた。愛着がわくまでの時間が一つの困難だとあらためて思う。愛着がわいたならば、細部に手をかける発想が少しずつ浮かぶようになる。

 

・午後から夜まで業務。7時間くらいが消えた。業務の傍で同時に10月くらいまでの予定を立てる。自転車操業のままに年末、そして年始から年度末に流れ込むことだけは避けなければならない。

 

・帰宅する電車の中では、水尾比呂志『評伝 柳宗悦』を読んでいた。巻末の夫人のインタビューを興味深く読む。

 

・帰宅して今夜は家族が「蕎麦粉クレープ」の準備をしてくれていた。それを「ガレット」と呼ぶのか。存在は知っていたがそういえば食べたことがなかった。たまご、チーズ、マッシュルーム、アボカド、蜂蜜、など、色々なトッピング。2人で5枚を食べる。

 

・食べたことがない食べ物を食べることの幸福を久しぶりに感じた。小さいが確かな驚きがある。最近はそのような機会がないが、友人の子供と食事をするときに面白いのは、食べたことがない食べ物を食べる様子を見ることだったかもしれない。

 

・食べながら白ワインを飲み、あっという間に意識を失う。

無題

・202109092119。数日ぶりの業務から帰宅する京王線で、特別な出来事は何もないなと思いながら、とりあえず日記を書きだしても良い。

 

・先週同僚から「KF94」の存在を教えて貰って早速注文してみた。今日から「KF94」を装着して生活している。電車に乗る人々の色々な種類のマスクを見ながら。

 

・月曜と火曜、そして木曜日午前までの作業で論文を3000字程度書いた。書いたこの文章はしかしまだ叩いたり伸ばしたりすることになるだろう。それでも「よろよろと立ち上がって一、二歩進んだ」感はある。

 

・秋には幾つかの知人友人の展示がありそれを楽しみにしながら生活している。あるいは水戸芸術館ピピロッティ・リストってどうなっていたのだっけ、と思って調べると、予想に反して(?)まだ始まってもいなかった。緊急事態宣言が明けて10月の前半に見に行くことができるか。

 

柳宗悦について調べたいと思っていることもあり、水戸から益子に足を伸ばす可能性を検索。あるいはまずは「白樺」から学ぶのならば、我孫子の白樺文学館、手近なところで調布の武者小路実篤記念館などから行ってみるのはどうか。

 

・秋の社会科見学という希望。

 

・一昨日、昨日と、朝雨が降っていなかったから少し歩いた。4kmを40分。格好は走る人のそれだが、一瞬も走っていない。歩き、早歩き、時々立ち止まってストレッチ、木漏れ日を見つめた。

 

・KF94を外して、駅からの道を歩く。まだ秋のにおいがしない。

 

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