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  映像研究

夜採れ丸オクラ

・202008081720。夏の夕暮れは良い。午前は作業する方の部屋で扇風機で何とかやり過ごし、午後からはリビングでエアコンをつけて継続する。エアコンの室外機の熱風から避難させた丸オクラの鉢。食べられそうなオクラが一本。「朝採れ」というフレーズは聞いたことがあるが「夜採れ」はどうか。食べる直前に切離したオクラは真っ直ぐな味をしていた。それを「夜採れ丸オクラ」と呼びたい。午後の作業は主に厄介な制作系の業務。とはいえ家でリラックスして自分のペースで好きな音楽や好きな学会発表を聞きながら作業できることは幸福。「許されている」と思う。休みながら作業。

 

・学会発表とは何か。昨日の夜に表象文化論学会のオンラインシンポジウム「コロナ禍の文化と表現」を視聴する。誕生日の夜に視聴する内容なのかどうかわからないが、このような映像を自宅に居ながらにして視聴できること自体は有り難いことだと思う。特に「オンライン演劇」についての発表を興味深く視聴する。それは結局のところ「映像」ではないのか、という疑問が浮かぶが、映像であると同時に「オンライン演劇」として位置づける意味はあるのだろう。webに本来備わる(?)「かりそめな感じ」、コロナ禍の仮設感、以前から進行していたコミュニケーションと表現が重なる形式、その他、この時代に「オンライン演劇」に託された何かがあるのだろうと思う。あるいは、zoomを使い授業や面談を行う自分にも(それに疑問を感じなくなってきている自分にこそ)、その振る舞いの中に「演劇的な」何かが入り込んでいると考えることもできる。

 

・今日は友人が「オンライン誕生日飲み会」を開催してくれる。

 

・映画『動かない庭』が明日まで視聴できることを知り、明日の夜ゆっくり視聴したい。2016年の恵比寿映像祭からずっと見たかった映画だった。そして内容を全然知らないなりに、ジル・クレマン『動かない庭』の本も気になる。気になった結果、Amazonで新刊を購入してしまう。8月に入って以来、誕生日を口実に、欲しい本、欲しい写真集、欲しいCDをすべて購入している。違うな、研究休暇(そんなものない)を口実に、だろうか。外食もしていないし、洋服も購入していない。浮いたお金(そんなものない)を、すべてオンラインでの買い物につっこんでいる。明日までが自分にとっての「タイムセール」かもしれない。気をつけよう。

 

・いつかの「庭」を想像する。

 

・夏の夕暮れのドライブは極めて良い。先週からずっと、ピチカート・ワン『前夜』を聴いているが、車で聴くとさらに良い。小西康陽の歌にはいわゆるボーカリストの圧倒的な巧さの魅力とは違う良さがある。歌詞を噛み締めるように聴く。

 

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