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  映像研究

弱肉強食を肯定するための自由という概念

・振り返る月曜日。昨晩の山部オンライン・ミーティングでの飲酒のせいか、次から次へと押し寄せるオンライン業務の疲労が雪だるま式に膨らんでいるのか、二日酔いで一日を過ごす。何かしなければと思い昨日スーパーで購入した国産レモンを塩レモンに加工する作業。ぼんやりした頭で語学。

 

・夕方にオンラインで学生にインタビューする仕事。インタビュー~文字起こし~原稿に、という作業はいつでも(本業ではないからこそ面白い)。記録と創作のぎりぎりのところで発言や対話が自立した出来事になり読み手を巻き込んでいくレベルにまでなると独特の達成感があると思う。そして10代後半の学生の創作や活動の姿勢に打たれる。自分も身を正さねばと思うようなコミュニケーションは貴重だ。「自分の子供に嫉妬するようになったらそれが青春の終わり」とは村上春樹か地元の友人のメールの断片だっただろうか。いまそのような時間を生きている。引き延ばされた何かの終わり。

 

・緊急事態宣言、非常事態宣言?が終わる。「新しい日常」と聞いて、そのそろしくキャッチのある言葉に何を思うか。多くのJ-WAVEのパーソナリティが言うように(車がJ-WAVEだから一日の思考の何割かはJ-WAVEだ)、オンラインに置き換えられることで「日常」と呼ばれていた様々な事を、一度ひとつずつ点検するような思考が立ち上がったことは大きい。「この集まりはなんのための集まりだろう?」「この会話はなんのための会話だろう?」「この課題はなんのための課題だろう?」「この勉強は(以下略)」という問いは、日常の中で自然に生まれるものではない。それをアフターコロナなどというのは確かに軽薄だとしても。

 

・昨日のオンライン・ミーティングの後半で7月に(あるはずの)都知事選の話題になったことを思い出した。現在の都知事を積極的に支持することはないものの、元IT企業の社長が出馬するとか、国営放送に物申している政党がそれを支持するとか、そういう些末なことに気を取られることも屈辱だが、しかし何かの/誰かの/少なくない人の空気(欲望)を感じるならば、それを感じ、読み、自分の発言の準備をしておかなければならないとも思う。山部オンライン・ミーティングが良いのは、こうした疑問を、自分の言葉で問い直す場であるからだとあらためて思った。「自由」とは何か。アナキストが言う「自由」と、ネオリベラリスムと言ったときの「自由」は、何が重なり何が異なるのか。対話することで復習しながら現実の変化とともに学びも進んでいる感覚がある。

 

・とはいえ月曜日は早々に就寝。22:00に寝る健康法。