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  映像研究

仕事をしないが目標

・202005192247。仕事をしないが目標の一日。午前中は語学を少し再開し午後は研究を少し再開する。夕方どういう流れだったか何か面白い日本映画ないかなと思って探していて結局は映画ではなく『ペンション・恋は桃色』というドラマの存在を知りそれを見てみたいと思う。伊藤沙莉さんという女優さんの芝居に惹かれる。映像で見ることを不思議だと感じるような存在ということがあるのだと気がつく。子供の頃『やっぱり猫が好き』に出ていた小林聡美を見た感想は「あ、人がいる」という感じ。それとも近い不思議なバランスが映像と音声で増幅される。増幅されることにおいてそれは役者であり俳優なのだろう。そしていまはどういう流れだったかyoutubeリリー・フランキー宮沢りえの対談を見ている。人と人との会話を見ることはいつでも大抵面白い。なおかつそれを映像で見ることも面白い。何のスペクタクルもない人と人との会話に声の感じや表情の感じなど見るべき事がたくさんあり見るべき事を見続けているとあっという間に時間は消える。

 

・ともかく「仕事をしない」と思っていたが昼に業務の同僚のラインで後輩より「キャンパスも閉鎖されているいま大学図書館でどのような映像資料図書資料を借りるべきか」との質問に大人3人が即本気のレスポンスをしていたのが今日のピーク。そうした流れから大学の頃に辛うじて読んでいた本、大学卒業後に必死に読んだ本、比較的現在に近い読書の経験など思い返す。「これ、20歳のときに読んでたらな」というようなことばかりを考える。同時に、同じ法則(?)を現在にも当てはめてみるならば、安定的な読書・鑑賞・試聴に留まってはいけないと思う。いつでも現在の自分の興味や理解の範囲の外にあるものに手を伸ばしまたもっと深い遠いところへ進み、あるいは現在からは見えない暗さの方へ焦点を合わせようとしないと死ぬ。飽きたら終わる。そういう態勢と気分のことを久しぶりに思い出した。まだ自分にはわからないこともわかりたいこともある。

 

Twitterで「リモートワークにおける目の焦点がつねにスクリーンに合っていることによる疲れ」を指摘する言葉がありなるほどと思う。中央図書館で作業をしていたときの、ふと顔を上げて、10m先の新聞を読んでいるおじさんを見る目、100m先のマンションを見る目、1kmくらい先の競馬場を見る目が、自分の精神と肉体を救ってくれていた。あるいは風景=見ることが自分を何かから守りそして自分をある状態に保っていたのかもしれない。ソーシャルなディスタンスとはまったく関係のない、風景を見ることや風景の中に存在することの距離の喪失。その事を考えて、ようやくひとつヒントが掴めたように思った。明日に備えて就寝。