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  映像研究

2019年の12月

・201912031049。中央図書館に来た。冬の快晴。今年あと何回この時間がもてるだろうかと考えながら、作業に入る前に雑誌コーナーで『暮らしの手帖』と『現代詩手帖』をぱらぱらする。そういえばどちらも手帖だった。図書館に着いたところでipadを忘れていたことに気がつき(辞書として使っているから無いと作業ができない)、仕方なく一度戻って途中公園の駐車場に車を停めて普段あまり歩かない場所で写真を撮ってみようと思ったらフォクトレンダーのVCメーターの電池が切れて撮影も断念。小さな予想外の出来事がある。ひとつずつ片付けながら。

 

・『暮らしの手帖』の「暮らしのヒント集」より。「親戚が集まったときには記念写真を撮るようにしましょう。次の機会に、そのときの思い出をみんなで楽しめます。」と書いてあって確かにと思う。思えば集合写真と風景写真について考えて、特に風景写真から「風景」について考えた2019年だったかもしれない。2019年は一枚の写真を見る、その仕方が少し更新されたように思う。写真であれ絵画であれそれ以外のものであれ、それを「作品」として、または制作した人間との関係から「見る」「言葉にする」という回路で、写真や絵画などと向き合うことが習慣づけられているようなところがあるが、それはあくまでも任意の一体勢に過ぎないことを理解しつつある。自分が撮影したイメージを客観的に見ることができる場が作れれば、さらにその考えを先に進めることができるかもしれない。それは2020年の課題になるだろうか。

 

・昨日職場で2020年の1月のスケジュール表を作成していて思わず同僚に「見えた!」と口走ってしまう程度には、今後の時間が想像できた。いつか在るはずとだけ思っていた時間が、現在の延長に想像できる。それは面白いことでもある。10代後半くらいの人たちにより質の高い文章を短時間で書かせるためにはどうすればよいのか。仕事にも仕事なりの目標があるから考える。中断。

 

・201912031922。課題図書の翻訳作業がひとまず終了。ひとまず終了した記録。同じ中央図書館で8月9日からはじめて4ヶ月弱かかった。かかりすぎだろうか。仕方がない。既に出版されている翻訳に頼り切りでもあったし、あくまでも荒い翻訳でしかないから、この荒い翻訳を練り上げつつ、内容を詳しく検討をしていかなければならない。

 

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