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  映像研究

ああでもなく、こうでもなく

・201905161417。仕事前のエクセルシオールにて。数日前に買った『現代写真アート原論』という本を読みながら、写真についてもしも概説的なことをするにしてもまだ調べなければならないことも多いことを理解する。しかしこの本で表紙に挙げられているような「インスタグラムの時代の現代写真アートとは何か?」という問いから自分は少し離れたい。正確には、そうした問いを少しだけ共有しながらも、その「インスタグラムの時代」にも「現代写真アート」にも距離を保ちたい。ここで問題とされていることは仮に何がしかのプレーヤーでなくとも、生活の諸条件(労働、消費、余暇)とイメージの流通が切り離せないという的確な考えであると思うが、しかし、本当にそうなのだろうか、という方に自分の問題設定は向かう。天邪鬼かもしれないが逆張りではなく、自分はいつでもイメージを一種のユートピアのようなものとして考えているのかもしれないと少し前に思った。ユートピアそれ自体は時間からは自由でも、ユートピアは未来的なものにも懐古的なものにもなり得る。自分は知らず知らずのうちに懐古的なユートピアとイメージを接続していることが多い。あるいは未来を仮定してその地点から懐古的に現在を見ようとする。そのときに写真という静止したイメージは相性が良いのだろう。そしてそれが「現実である」という確信も。それをレトロな趣味の問題、ノスタルジーというファッション、メランコリックな心理と関連づけることもできる。そうした視野からは「インスタグラムの時代」も「GAFAの時代に適応できる「速さ」と「深さ」」も別の世界の出来事のように思えてしまうのだけれども、どうしたものだろうか。

 

・数日前に考えていたのは「カメラ」と「身体」と「世界」という3つを基点にすることだった。まず「撮影すること」言い換えれば「カメラを持って世界と向かい合うこと」とはどういうことなのか?という疑問があり、その問題は、「どう向かい合うべきなのだろうか」という問いに、そして「撮影することと善く生きることはどのように結びつくのだろうか」という疑問/仮説に流れていく。そこでイメージは一貫して「そうあるべきイメージ」の地位に置かれる。「現在私たちがどのようにイメージを捉えているか」ということの表現ではあり得ない。地図ではない。このギャップを重要だと思う。ノスタルジーやメランコリーには人を微睡ませる効果があるが、同時に人を鍛え上げる出来事ともなり得るのではないか。これも一つの仮説でしかないが、人は自分自身のストーリー及びそれが巻き込まれる限りにおいての親しい他者のストーリーを生きることによって思考を生み出すのではないか。ここまで考えをずらしながら既に「現代写真アート」からは遠くに来てしまった。

 

・映像による記録(この場合は写真)を「現代写真アート」と接続しようという「戦略」はつねにマーケットの要請に依るものであり、すべてはマーケットであると言うのならばそれも仕方がないが/マーケットが地球の隅々までに影響することは理解しながらも、自分は「全然別の理由から人は写真を撮る」ということを考えていて、それはファウンド・フォト/ヴァナキュラー写真の問題系なのだが、それもムーヴメントの名称であっても、個の身体、個の知覚の問題には触れていない。そのことにどうしようもなくもどかしさを感じるのは何故なのか。

 

・色々な意味で、10年、と考えて、この10年で誰も「エコ」とは言わなくなった。あるいはエコはあらゆる商品にもサーヴィスにも小さくサインしてある程度のことになった。エコロジーという言葉も、エコロジカルという思考も、運動も、都市の生活から消滅して(蒸発して)しまったように感じる。流行していないのだろうか。自分も例外ではなく日々の行為の中で目の前の商品やサーヴィスの背景を考えることがない。このことをどう考えるべきか。

 

・テキストを読んで、自分の考えに残るのは一節だけかもしれない。何度も立ち返ることになるのは山本理顕『権力の空間/空間の権力 個人と国家の〈あいだ〉を設計せよ』という本で引かれていた、アレントハイデガーの「世界」と「物」の関係についてで、近代以前の世界において、物は人が生まれてから死ぬよりも長く在り続ける。そのような物に囲まれながら生きることによって人は世界に対して信頼を持つことができる、というようなことが書かれている部分を読み、自分はイメージ=写真の問題を、その枠組みで考えようとした。自分が生まれる前も死んだ後も「存在する」イメージについて考えたい。この場合「存在する」とはどういうことかについて、同時に考える必要がある。認識ではなく存在。物質や生命と関係している。あるいは「エコロジカル」「オーガニック」という考えは、そうした「世界に対する信頼」と関係する形容ではないか。

 

・労働のため中断。

 

 

 

LOOP映像メディア学―東京藝術大学大学院映像研究科紀要〈Vol.9〉

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アニメ制作者たちの方法 21世紀のアニメ表現論入門 (Next Creator Book)

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