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  映像研究

清野賀子について

 
・201811101030。中央図書館に久々に来た。本日発売のポパイのクラフト特集など読み遠い場所で形ある何かを作っている人に想いを馳せつつ少しだけ作業を進める。今の自分の目の前にあるのは言葉を組み合わせて文章を作ることだった。その不器用さに愕然としながらも少しずつ進めたい。中断。


・201811102024。帰宅して今。午後はシャトー小金井の「市民講座 対話をひらく」という企画の「清野賀子のまなざし」というイベントを聴きに行く。このイベントを知ってからずっと楽しみにしていた。継続的に気になっているがとりわけ夏の終わりに『至るところで 心を集めよ 立っていよ』を見直してから、ほとんど毎日のように清野賀子の写真について考えていた。『THE SIGN OF LIFE』とその他雑誌の記事なども読んでいる。もちろん清野賀子という写真家が多くの人に(静かにしかし確かに)支持されていることは理解していながらも、公的な場でその名が呼ばれ話されること自体に興奮していた。


・そしてイベントは密度のある時間だった。『THE SIGN OF LIFE』のすべての写真をプロジェクションしながら、学芸員の天野さんと企画の宮下さんがそれぞれの視点から清野賀子の写真をどのように見ているのか(清野賀子は何を見ていた、と思えるか)について話されていて、自分が誰かに聞いてみたかったのも、多分そのようなことだった。写真について言われる「意味を逃れ去る・・・」という言い方も、それ自体が定型的になるとほとんど何も言っていないに等しい。だから、その段階を超えて、目の前のイメージに向けて素朴な問いを重ねていく。それは清野賀子という人の写真に対して、正しい対峙の仕方であるように思えた。


・聴きに来ていたなかに知った顔はなかったが、偶然近くにいた方と「清野賀子情報」について少し言葉を交わす。清野賀子という人が撮影した写真/残したイメージを求めている人が確かに(少なからず)いるのだという事実を前にして何か不思議な気持ちになった。自分はかつて色々なところで別々の事象に関してこのようなことがあった。そしていつか清野賀子の写真は別の映像表現を生むだろうとふと思う。それは例えば牛腸茂雄の写真と佐藤真の映画のような関係の何かかもしれない。映像だけでなく言葉も生まれるだろう。あるいはもうどこかで生まれているのか。


・図書館から直接車で行き、帰りはそのまま帰宅する。頭の中に横長の矩形で区切られた風景の印象が残っている。今日感じたことは『THE SIGN OF LIFE』の写真が、それを見る意識と「つり合っている」ように思える(ゆえにぴんと張りつめたような緊張感がある)のに対して、『至るところで 心を集めよ 立っていよ』の写真は、写されるものの方が、それを見つめる側を「飲み込んでしまう」ように思えた(ゆえに流れの中に巻き込まれてしまったような呆然とした感じがある)ことだった。それはカメラのサイズやレンズに由来する距離感も関係しているが、それよりも精神的なことと関係があるように思える。


・論文の作業が終わったら年内に6×9のカメラを手にしてみようか。そのカメラで見えているものを写そうとするときに、どれくらいの速度で、どのように、何に反応するのか。そうした感覚から、また考えが進むのかもしれない。中断。