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  映像研究

書くことは何かの、話すことは、または考えることは

 
・201806261139。いつもは通過する駅で途中下車して銀行に行くなどして喫茶店で朝食兼昼食。この数日のことを思い出しながらぼんやりする。色々な人のことを考える。いつも色々な人に不義理をしている、しているように思う、実際にしているのかもしれないが、そうした考え自体についても考える必要があるなと思ったのは、喫茶店の本棚に置いてあった、いとうせいこう星野概念という人の『ラブという薬』を読んだからで、いくら能天気な自分でも他者との関係において色々に思うところはある。


・土曜日には知人の結婚式があり、その場所で久しぶりに会う知人と話をする。そのことは10年を軽く超える不思議な時間の感覚を与える。不思議と驚き。知人は自分のことを知っている人。そのことを不思議だと思い、人の記憶は簡単には消えないことを不思議だと思う。もちろん忘れることもある。


・日曜日には約一年ぶりに会う友人を含め、久しぶりに長い時間人と話すことができた。「話をする」ということの中にある「前回までのあらすじ」という感じ。ある時期とても頻繁に会いそれぞれのステータスやコンディションを把握していた人が、また別の状況にいることの不思議や驚き。しかしそのことは翻って自分自身の今の生活を思い直させもする。そういう時間が必要だ。繰り返すように感じられる生活の中でも。


・書くことで整理されることや気がつくことと、書くことができないこと。


・どうして人はそんなに多くの仕事をすることができるのか。どんな年齢の人でも、たとえば電車の中で自分の少し離れたところに人の姿を見ているとき、たとえばその数秒に湧き出しているはずの血液の量を思ったりするとき、たとえばその人が食べたはずの物が骨として結晶化していることを、その結晶が重力に抗ってからだを移動させていることを思うとき、うわ〜人って凄いなーと思って、そっと読んでいた本を閉じてしまったりするのは、一体どういうことなのか。その人間が何らかの「仕事」をしていて、それはもう無条件で凄くてやばいことじゃないかと思ったりする。からだを動かすことも、言葉を発することも、それが「伝わる」というようなことが起こることも(起こらないことも)、考えることも。