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  映像研究

書くこと

・201911250854。自宅にて。書くことがないように思えるときほど何かを書き残しておこうと思う。先週の後半から週末にかけて業務の細かい予定が立て込み慌ただしく過ぎる。さらに今日から次の週末までもスケジュールが繋がってしまい結局集中して作業する日がない。あるいは細切れの作業をすることができても思考する時間を持つことが難しい。そのことをいつでも反省しながら。業務の職場には様々な年齢の「つくる人」がいるが、それぞれに時間を管理しながら思考や創造を生活の中に組みこんでいる人が多いように思えて、そのことの凄さを思う。ある年齢になるまで「受験生のように勉強をすること」は生きているうちのあくまでも限られた特殊な時間だと思っていたが、大人と言われる年齢になってしばらくたってみて気がつくことは、ある種の人々はそれを生きている時間の中で自分の判断において継続するという事実だった。そのような理想を持ちながら自分もまた何度でもはじめる。自分の目の前には読まれることを待っている本がたくさんあると気がつき直す。

 

・今年の残り一ヶ月でやるべきことは、課題図書の精読(現在77%程度)。そしてその課題図書がその後に別のテキストに書き直された一覧をつくること。そしてその後書く文章のおおまかな方向を見定めたい。さらに自分が撮影した写真を一枚引き伸ばし額装するという自由研究もある。

 

・全然違うこと。練り物の美味しさとはどういうことかと考えていた。おでんの凄さについて。

ここも中央図書館

・201911191045。いつもの同じ中央図書館にて作業をはじめようとする。昨日も図書館には辿り着いていたのだが業務連絡にまつわる諸々で時間も精神も持っていかれてしまって作業どころか日記すら書くことができなかった。不条理なことがある。あるいはテキストだけでコミュニケーションを取ることの根本的な不可能。「文章を書く」という行為から退けることができない内省が他者が書いたとされる言葉に貼り付き何事かを迫るように思える。そしてそのことを知りながら/知っているからこそ、何かの情念が零れた言葉を晒すことに無自覚あるいは不感症になる。しかしそれはすべて幻想かもしれないし、少なくとも創造の障害であると考えた。あるいは深く自分の思考へ降りていくための障害。可能な限りクリアにカットして進む。とはいえそのことで作業が進まなかったことについては素直に反省。それで反省して、反省しつつ早めに就寝して起床して今。作業を再開する前に記しておく。

 

・図書館で作業する前にちょうど先週の今日に撮影した空き地へ行ってみて10数枚の写真を撮る。空き地とは何か。当座用途を持たない場所に特有の気配のようなものがある。そうした場所には惹かれるものがあり思わず写真を撮ってしまう。機能のある/なしという意味で捉えるのではなく、つまり空き地をコレクションするのではなく、その場所をよく見ることから考えを展開させていくことは面白いことなのではないかと思った。地面の土の感じや伸びたままの植物の魅力。人工/自然という区分ではない視線を持つことは可能かと考えながら、目の前の空き地をよく見ようとする。そしてやはり三脚を立てて、よく見て、露出を何度も確認して、丁寧にシャッターを押すことが大切だという、これは結論。その結果パンフォーカスのイメージが獲得される。GW690は(ペンタックス67もそうだけれども)ついスナップが撮れるように錯覚してしまうカメラだが、基本的には手で持って構えて撮ることのできるイメージはごく限られている。そのことを先週の撮影と今日の撮影で完全に理解した。今日の撮影は終了。たぶん今年の撮影はこれで最後かもしれない。

 

・友人がTwitterに「年末の感じがしてきた」というような意味のことを書いていて、さすがにそれは先取りすぎなのでは、と思ったが、気がつくと自分の周囲にもうっすらと年末の気配が漂ってきた。慌ただしく、押し出されるような、そして何かが許されるような感覚がある。酒と湯気と電灯の光景。そういう場所と時間が気持ちを緩めるだろう。忘年、と言ってみて、かつてはその忘年会という行事がとても大切だった。そのことを思い出している。あるいは正月について。社会全体が必死で/不可避にある雰囲気を作り出しているのが正月なのだとして、2020年がこの国の社会にとって特別な年であるというのならば、次の正月は、その雰囲気がより濃厚に漂うのだろうか。その雰囲気から自分の精神や身体も影響を受ける。

 

・気がつけば夏から秋にかけて「狂ったように」の一歩手前程度には洋服を買っている。しかもすべて古着ではない。理由は複数ありかなり明確である。収入の(微)増。書籍購入額の減少。新しい年代に突入して「全とっかえ」したいと思っていること。これまで着ていた洋服が全然自分のものではないような気がすること。しかしそうした内的(?)な動機とは別に、社会のバブルが自分の精神に染み通っているのではと考えたりもする。景気は空気のようなもの。それは写真に映るのだろうかとも考える。そういえばかつて自分が持っている洋服をすべて書き出してみる日記を書いていたことを思い出して、いまそれを読み返したならば、その多くが既に手元に無いことを知る。トレジャー・ファクトリー的な「ここではないどこか」へ行ってしまった。「一つのものを長く使いたい」という気持ちすらもトレンドでしかないのか?という問いは今でも持っている。いつかまた書き出してみようと思う。中断。

 

・昼食に今日は図書館の喫茶コーナーでビーフカレーを食べて。考えたことの続きを少しだけ書いておく。

 

・それが労働に関わることでないにしろ、たとえば自発的な創造行為であるとか文化に関わる事柄であれ、人間と言葉の間で思考を続ける人にとって、つまり人間の生活の「外」のような意識をあまり持たない人にとって、暮らしていることそれ自体が困難の連続であるだろうと思う。自分はひそかにずっと思っているのは山のことで、つまり土や石のことを意識の片隅に置いているような感じがある。かつて高尾に住んでいたときに「裾野」という言葉を、自分の周囲の雰囲気に感じて以来、なにか場所に対する感覚が(少しずつではあるけれども)変わったように思う。今朝写真を撮っていてその感覚を思い出した。「あらゆる場所が裾野であり得る」と言葉にすれば安易に思えるが、地図を見て「意外と緑が多い」と思ったときのように、自分は土の上で生活をしていて、それは簡単に覆るようなことではないのだと、ふと思った。そうした感じを持っている限りにおいて、人間と言葉の間で起こっている出来事はそれほど大きな事象ではない。そのようにも思う。

 

・あるいは、そうした実感を切り離すためでなく留めるための、言葉とはどのようなものだろうかと考えている。生命を力づけるような、言葉とはどのようなものだろうかと考えている。たとえば「はじまり」という言葉に特別なアクセントを置くような、それこそ言葉(構成されたものであれふいに投げられたものであれ)をいつでも気に留めてきた。一方でその「はじまり」も、実感のないスローガンのような言葉に感じられてしまえば、それを読むことはできていない。言葉はいろいろな要因から「読めるようになったり/読めなくなったり」するものなのだとと思う。かつて自分が生活していて「はじまり」という言葉を「読めた」と感じた、その言葉が持つ意味をはっきりと感じたのは、木皿泉が脚本を書いた『すいか』のいくつかの場面の台詞からだった。何度でもはじめられるということ。そのようなことを考えたときに媒体の枠組みで考えていた問題が、少しその枠組みをはみ出していくような予感がしている。あくまでも予感。でも予感は大切。

 

・生活と繋がりながらも抽象的な思考を言葉やイメージのかたちにすること。かたちになった言葉は他者と共有することは難しいが、イメージ(映像、音声、その他)は他者と共有できるのだし、そもそも音楽をすること自体が他者との関係のなかでありえるものだと高橋悠治という人の話を聞いたり読んだりしていて思った。音楽を入り口にして音の問題を考えてみるように、写真を入り口にして、見ることと存在について考えはじめることも、できるはずだった。「一人だけの音楽はない」というテーゼをサンプルにして「一人だけの写真はあり得るか」と問うたときに、媒体の枠組みで考える限りでは、それはいつでもつねにあり得るだろうし現にあり得ているという解しか出ない。しかしそうではなく、と考えてみること。無理やりに自分の考えを先に進めるために、しゃがみこんだ体がバランスを崩して転ぶように、罠を仕掛ける。「一人だけの写真などない」と言ってみて、その罠に気を取られてしゃがみこむ。

 

・「私とあなたは別のものを見ています」ときっぱりとした態度で言うとき/考えるとき、知覚に一切の疑いはなく、個体の区別は明確で、空間は座標のように認識されている。視点=visionという語が個体を特別なものとして捉えさせるのだろうし、構図というような思考と結びつき、それが創造行為であれば作者性というような意識を発生する要素ともなる。だからその回路ではなく、媒体の問題でもなく、見る行為にまで戻ってみて、可能な限りそのはじまりから考えてみようとする。カメラを持つことはそのような「考えてみようとすること」をおそらく助ける。しかしカメラを持ってしても生活の圏内では難しい。視覚は生活に最適化されているのだし、その視覚の元では「事物」も「風景」も、その生活を彩るためのフォトジェクニックな角度でしか姿を現さないだろうから(ボードリヤールとの接点)。とここまで考えてみて、写真もカメラも「あらかじめ撮影する対象があって機能する道具」というようなものではないのではないか、という疑問が浮かぶ。簡単な言葉で言えば「見る行為を深化させようとすること」のために撮影行為があるだけなのかと考える。それもひとつの解であるかもしれない。

 

・だから行ったことのなかった場所に身を置くことは、見る行為の「はじまり」を感じるための練習であり得る。逆に毎日見ているものや場所であっても「はじめて見たような眼差しを感じる写真」というものがあり得るのだろうか。装われたものではなく。難しいだろうか。しかし「そんなものはない」と一挙に切り捨てることはできない。ここまで考えてまた中断。

ここは中央図書館

・201911120950。開館して1時間が経った中央図書館にin。久しぶりに、と言ってみて前回は10月15日だったから約一ヶ月前であることが日記をつけているとわかる。快晴。洗濯を二度した。ラジオは快晴と温暖であることのほかに、関東では木枯らし一号かもしれませんと伝える。ホットカーペットおよび寒い季節用のカーペットをクローゼットから出し、敷く。一緒に軽く掃除。最後の衣替え。秋になればすぐ冬になる。夕食はピエンローだねと家族と相談してしいたけをもどしておく。

 

・図書館で家にも同じものを買ったポパイの新しい号をぱらぱらしながら今日の計画を立てる。午前中は対談の原稿起こし作業とフランス語学習の宿題をする。お昼に少し写真を撮りに行き、午後は引き続き翻訳および精読作業を再開しようと思う。夕方に目処がついたらコーヒー豆と小沢健二の新譜を買うために調布かどこかに出てみようかと思う。予定は未定。いつでも「最悪よりは少しまし」「最低よりはかなりまし」と思っている。この図書館の時間が許されていることも、気に入った服が着られないことで気持ちが弱くなっていることも、全てが「許されているゆえの」コンディションだと思う。

 

・数日前にAmazonで購入したのは多木浩二『写真論集成』で、特に1970年代はじめに書かれた写真についてのテキストが新鮮に読める。『ことばのない思考』や『視線とテクスト』の内容とは重なるものの、コンパクトに文庫一冊にまとまっているのが良かった。行き帰りの電車で読んでいる。もう一冊は原稿起こしの資料でもあるからと思い高橋悠治『ピアノは、ここにいらない』。高橋悠治という人がデヴィッド・グレーバーの仕事に注目するのはどのような理由からか、など興味深く読むがさらっとは読めない。

 

・作業の傍らで考えたことをメモしておく。

 

多木浩二の写真についてのテキストはボードリヤールの写真論と響くところがあり、それらが書かれた時期のずれを考えれば、ボードリヤールが写真について書いたことはまったく新しくない。まずはそのことを確認する。写真は表現ではない。写真は人間の意識とは異なる原理でイメージを「創造」する。その原理を「無意識」という意識のネガとして捉えるのではなく、世界の方に開いてゆくこと。ざっくりと言って20世紀の後半にはそのような思考があった。写真はそのことをわかりやすく示す。そして、しかし、例えば多木浩二のような人が描き出した、このような写真の「本質」は、今にあっては、また別の原理によって早くも削り取られようとしている。そのことも予感しながら、2000年の前後にボードリヤールは書いたということなのか。

 

ボードリヤールの写真よりもいまだに謎を残すのは清野賀子の写真で、清野賀子の写真とは何かと日々考えている。二冊の出版された写真集は明確にスタイルが異なり、それゆえ前者から後者へのスタイルの移行、そして写真家自身の死をもってその制作を線的/時間的に描くことができるように思ってしまう。しかし並行して撮られた写真を見て考えるほどに、そうしたストーリーはこの写真家を理解する上でまったく不適当で邪魔なものだと思うようになった。『THE SIGN OF LIFE』の印象から「風景」を題材と設定することも、短絡的と思える。雑誌でのファッションの仕事や『Chicken Skin Photographs』での人物を写すことへのモチベーションの方が、むしろ清野の仕事を考える上で重要かもしれない。そして『至るところで 心を集めよ 立っていよ』は、少なくとも2003年から2009年まで、様々な雑誌で撮られた写真群であったこと。しかしそれと並行して『a good day, good time』のような、少しの軽みを感じさせるシリーズも制作していること。

 

・おそらく写真家の中では、何も終わっていないのではないか。『THE SIGN OF LIFE』と『至るところで 心を集めよ 立っていよ』は別のものだが、その二つの言葉がほとんど同じ願いを表しているようにも読むことができる。だから、ひとつのシリーズから別のシリーズに移行したように見えても、そう単純ではない。必ずひとつのコンセプトとともに制作があるわけではないのかもしれない。あるいはそうした制作の態勢と写真というメディアには関係があるのだろうか。線的/時間的なストーリーから、星座的な理解へ。そういう試論を書けないかと構想する。中断。

 

・201911121859。再び日記。ほぼ予定通りの一日を過ごす。写真を撮ることに集中できたことは良かったが、翻訳および精読は思っていたよりも進まなかった。また予定を立て直す。何度でも。昼ごはんを食べた南多摩駅蕎麦屋はとてもよかった。そしていま調布の猿田彦にinして小沢健二のCDの歌詞カードなど見つつ休憩。「いま」という今が2019年であることに驚き続けながら生活する。

日記、メッセージ

・201911110953。家で。AppleMusicに加わっていたピチカート・ファイヴ『陽の当たる大通り』を聴きながら。平日の寒い秋の朝。少しの罪悪感とともに音楽を聴くなどしていると今がいつなのかわからなくなる。今は2019年の11月11日。業務に追われる一週間を駆け抜けて、適度に息を抜き、月曜日と火曜日の自由を獲得した。続けて『メッセージ・ソング』。メッセージとは何か。

 

・昨日は日曜日の業務の強制終了後に後輩の展示を観に国立方面へ。物が持つ雰囲気と物が集まった時に感じる場所の魅力について考えさせられる良い展示だった。最終日だったのだから友人や初対面の人など含め中華料理屋で飲食。かつて学生だった人たちや後輩や同級生は作り続けている。そのことを感じながら。9月から続いていた意識を切断して自分の作業をさらに進めようと思う。

 

・生活する中で「作られる」感じについて。比喩的な意味でも実際にも、京王線(含む都営新宿線)を東西に往復する日々からは、業務7:研究3くらいの固まった態勢が作られるから、そこから逸脱する感覚をどう保つことができるか。いつも考えている。時々中央線に乗ると思い出すことができる。文化不毛のニュータウンから呪いに近い念を飛ばす。中華を食べながらそういうことも話したかもしれない。

 

・帰宅して24:00。ラボAスタジオから現像されたネガとLサイズの写真。ちょうどこの3ヶ月くらいの出来事が映っている。写真としては全然思う感じに届いていない。やはりこの撮影の仕方の限界もあるのかと考えながらハーゲンダッツ

 

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言葉を書く

・201911051612。11月になると秋も後半だからこの時間になるとすっかり外はブルーグレーのような色味の風景になっている。家で。この数週間「火曜日が唯一の休み」ということになっていて、そうなると意地でも家から出ずに作業しようということになった。車を実家に持っていっている関係で図書館に行くことも面倒だから孤島のような部屋で作業をする。あらゆるものに集中断ち切られながら。翻訳の作業の合間にオンラインの色々な記事を読み、日記も書く。

 

・3日(日)は友人の演劇を観に行く。よく考えられた内容だという感想を持ったが同時に批判的な考えが次々に浮かぶのは昔からの友人だからだろうか。いま自分には「見たいもの」も「見せたいもの」もある。内容的に接続される部分はさほどないが、遊園地再生事業団の『ニュータウン入口』という作品のことを思い出す。そういえば自分は二度あの作品を観に行き、その後しばらく自分の演劇の基準のようになっていた(その前は大学の頃にナイロン100°C『フローズン・ビーチ』というのもあった)。『ニュータウン入口』は2007年で、ダイアリーを書き始めたのもその年だった。遥かに昔のことのように思えるが、確かに13年前は「遥かに昔」かもしれなかった。

 

・ファンヒーターをつけたら冬。中断。